政治と正義と苦しさと。 相手の立場への理解
こんばんは
政治について議論するとき、どういった気持で議論してる方が多いのかなというのに、興味があります。
私は、政治について議論してるとき、苦しさを感じなかったらまずいんじゃないかな。と思ったりしてます。
政治は正義と正義の対立だと私は考えていて、そうであるなら、自分がある政治的立場を唱えることは、誰かの政治的立場、つまり正義を否定することだと思うんです。
それってほんとはしんどいことだよなあと。
政治的立場を主張することを否定するわけではありません。
誰かが何かを言わないと、誰かが何かをやらないと、何も動かないし。
どっちが正しいかわからないから、つらいから自分の立場を言わない。あるいは、みんな正しいよっていう極端な相対主義はたんなるニヒリズムですよね。
でも、
相手の立場に想いを馳せることって、
大事なんじゃないかと。
自分が否定している正義も、それを支持する人がいて。
その人はなんでそれを支持するんだろう、なんで自分と違う意見なんだろう、その人はどう考えてるんだろう、っていうのに思いをはせるのって大事かなと。
「自分からみた相手の考え」じゃなくて、「相手から見た相手の考え」っていうのが、ほんとに見えてるかなと。
相手の意見に理解を示そうという姿勢を見せないと、
相手を悪魔のように非難して、
自分たちの立場への批判を受け入れられなくなって、
自分の正義が唯一の正義と思うようになって、、、
そんなことだといつまでたっても建設的な議論ってできないんじゃないかなと。
非難の応酬ばっかりになっちゃってほんとにもったいないよなと。
そして、
少しでも相手の立場に思いをはせるなら、
他人の正義を否定していることを自覚するなら、
政治の議論ってつらいはずだと思うんです。
政治の議論をしているときに、どこかで気持ちよさを感じてしまったときは、
ほんとに他人のためにいってるのかな?
それによって誰が傷つくのかな?
ほんとに自分の正義はそれで達成できるのかな?
自分のために他人を消費してないかな?
って、立ち止まって考えるのが大事かなーと思います。
私自身、自己満足な政治の議論をしてしまうことがたくさんあるので、戒めとして、書いておこうとおもいました。
そうはいっても、どう頑張っても、相手に共感を示せないっていうときは、あると思います。
相手にすごく怒りを覚えてたりしたら、やっぱり難しいですよね。
そういう時は、
理解を示そうという姿勢だけでも持ったり、後で冷静になってから振り返ったり、
できるところから、無理のない範囲でもやろうとするだけでも、
ちょっとは違ってくるかもなあと思います。
方法は違えど、価値観は違えど、
多くの人はよりよい社会のために声を出していると思うので、
非難の応酬に費やされてるエネルギーが、
建設的な、未来志向な議論に向いたら、
もっともっと良くなるのになーと、
思います。